抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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成長と無個性「いなくなれ、群青」感想

どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 タイトルだけ見れば、どう考えても「僕のヒーロー・アカデミア」ですけど、違います。最激戦区の9/6日公開の作品を再び。「いなくなれ、群青」です。めでたく公開延長が決まった6日公開ド本命の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を早く見たい。

映画「いなくなれ群青」★横浜流星 飯豊まりえ 主演 ★B5チラシ ★・非売品

WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレあり)

 

1.ミステリ?ファンタジー?ラブストーリー?

 あらすじで、ある日突然に「階段島」にいるのだが、理由は分からない。失くしたものを見つけると帰れる。なんて話を目にしたもんだからこーれは面白いでしょ!と勇んで鑑賞を決定していた本作。

 味わってみれば、味付けの不思議な、何とも言えない作品に仕上がっておりました。

 「階段島」からの脱出、といういわゆる脱出ゲーム的なミステリ展開で進んでいくかのような前半。飯豊まりえさん演じる理想主義的な真辺は登場していきなりいう台詞が「納得できない」。現状に疑問を呈して謎解きを進めよう、という探偵役感がビンビン。ただ、重要だったのは語り部はあくまで彼女とここではないどこかで出会っている七草。まあそこがミソだったな、と振り返れば思います。

 んでんで、章が進むにつれて、豊川さんのヴァイオリンの弦を探す、島を管理する魔女の正体を探る、落書きの犯人当て、となんだか米澤穂信先生の日常ミステリのような話が進み、RPGのクエストのようにも。真辺がアレは出来るのか?これは出来るのか?と問うことで世界観の提示をするところ以降は、少しファンタジーの要素が強まってきます。

 そして最終的な謎が解かれての七草と真辺の別れと再会。因果の糸でつながった2人のラブストーリーのように話は集結していきます。終わってみると、すっごくジャンルレスというか、ボーダーレスと言えば聞こえはいいですが、何がしたかったのか少し難しい作品に感じました。

 鑑賞後のモヤモヤの理由のひとつには、ストーリーの展開の仕方があるのだと思います。中盤、事件が出揃ったあたりで落書きの犯人を捜す→魔女に会う→ヴァイオリンの弦をもらうようにお願いする、という方向で進めよう、とわざわざ黒板で図解してまでストーリーラインを立ててくれます。そもそも落書きの犯人捜しをお前らがやる意味があるのか、とは思いますが、この辺は後述。

 んで、実際にはヴァイオリンの弦が最初に解決し、唐突な犯人の自白(っていうか、語り部の七草の犯行だったのでその映像)が流れ、魔女の正体などは解明されずにラストに向っていくことになります。せっかく行程表を示したのに、全く違う順序でマップが進められていくことによる困惑が画面を終始支配してしまい、ヴァイオリンの弦にまつわる豊川さんのエピソードの終結点であり、序盤から示唆された大イベント音楽祭での出来事でテンションが上がり切らない結果となってしまったように感じました。

2.「個性」とは。

 さて、この島の秘密は結局のところ、現実世界で切り落とされた人格=自分に捨てられた自分、が生活をしているというものでした。

 そういった観点で演技や演出のアプローチを見ると、なんだか廉価版村上春樹のようにも感じた台詞の数々や、実証主義だが独善的な真辺、冷笑しまくる七草を始めとする周囲、無駄と言ってくる委員長、とクセが強くてかなりキャラクタライズされたものも納得がいくようになります。そういった意味では、うまく演技するよりもうひとつ難しい演技を役者陣の皆さんはされていたのではないでしょうか。個人的には、あ、この人好きだ、と思った堀さん役の矢作穂香さんが、かつて東京ガスのCMで大好きだった未来穂香さんだと知って数年来の恋人に再会した気分に(気持ち悪い)。

 また、切り捨てられた人格である以上、彼らの設定された年代=中高生という設定も真辺の言葉を借りれば納得ができる、というか必然性があるし、これ以上成長=変化できない彼らの象徴としての階段もとても意味のあるものだったと思います。

 一方で、だとすると島自体のために置かれているだろう、寮や運転手は、郵便屋を除けばいわゆる普通の大人描写でした。当然彼らが消された人格なのか?という疑問は湧きますし、消された人格、というならば中高生より更に子どもの存在の描写がないことが不思議。

 そして何より、落書き事件の犯人捜しを主人公たちで行うことがとても奇異に映ってしまう警察権力の不存在。当然、警察的機構が無いこと自体は理解できるのですが、逆に言うと切り離された人格は往々にして反社会的な衝動を持つものが多いような。しかし、劇中では存在するのかもわからない「法律」という概念まで飛び出して、極めて理知的で性善説な人間しかいない描かれ方がされています。人間ってもっと暴力性とか残虐性を捨てて生きてません?

 結局のところ、この島は中二病のごみ置き場みたいなものであり、それを一生懸命美化して映しただけ、みたいな島になってしまっているのではないでしょうか。そこを舞台にしてみたところで、そのトリック一発勝負で魅力的な人材のいない、切り捨てた個性が集まっているのに没個性な島になってしまったというか。それこそ、中二病ど真ん中のキャラはいてもよかったはずです。

3.誰よりもタチの悪い七草

 本作品で最もタチが悪いのが主人公の七草。理想主義者と真辺を呼び、自らを悲観主義者と呼ぶ。ですが、その態度は魔女の館へと続く階段を上ってみよう、という実証主義的な手法に対して冷笑するだけの悲観主義者より狡い立ち位置。ヴァイオリンの弦を切ったのが豊川さん自身だと知ったのに、周りに知らせず狡い奴扱いをされる委員長よりも、この世界の仕組みを理解していながらそれを求める真辺やらにはなーんにも教えず、安全圏で笑っている。その癖、バレないような手段で知っていることを誇示し、最終的には非常に独善的で、なんだったら真辺よりも理想主義的に彼女を現代に返すことを選択する。終わってから分かる彼の一連の行為をどう評価するかで、この映画自体の評価も変わってくるのではないでしょうか。

 私としては、この世界の仕組みを分かっていたのだから、何らかの理由の為に真辺も切り捨てられた人格だということを把握したうえで、その人格変化の理由を探したり、考えることなくただ返却するという選択をする愚かさ、どうしようもなさが一周回って少し可愛く見えました。エピローグ、七草は真辺と再会し、真辺は言葉を尽くして現実の自分たちの判断が間違えていたことを証明するんだ!と告白してきます。でもよく考えなくても、理由があって切り離されたものをポイっと戻してももっかい切り離されるだけです。どうして戻ってきた?じゃない。戻ってくるのが必然。そこは分からない七草。ダメダメすぎて可愛くなりません?そうですか、なりませんかね。

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

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