抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

ありがとう。「天気の子」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 忙しかったり、精神状態が悪かったりで見たい映画がたまり気味な今日この頃。そんな中、公開初週なのにTLのほぼ全員が見た気がするぐらいみんな見ている新海誠監督最新作「天気の子」を見て参りました。夏映画のトップランナーになれるのか。

 本編見る気ないけど、予告で流れた「ライオン・キング」はあれ実写っていうの...?

 作品評価を超えた端的な感謝は以下に。

 

新海誠監督作品 天気の子 公式ビジュアルガイド

WATCHA5.0点

Filmarks4.9点

(以下ネタバレあり)

 
1.もはや説明不要な美しさ

 新海監督の作品ともなると、ディズニー・ピクサー作品同様画の美しさはもはや前提。語ることなどない、高品質が当たり前ではありますが、それでも本作もやはり目を見張る出来栄えでした。新宿TOHOに行ったことがあれば誰もが思い当たる風景の数々。西武新宿駅横のマクドナルドなんて、映画見た後そのまま感想書きに入ることありますからね。ビル群等含め、実在の景色をそのままアニメで高水準で表現するのが本当に凄すぎます。まあ、多摩(東京23区の西側地域)民としては殆ど山手線の内側で展開する物語に、くそ、やはり東京都は23区なのか…と忸怩たる思いがあったり、なかったり。

 あとは当然この映画の大事なアイテムでもある雨の描写。やっぱり水を扱うのがアニメとしては実写と差別化できるからか、水題材が最近特に多い気もします。今回はただ雨が降っている、その描写自体も十分綺麗なんですが、個人的に凄いと思ったのは降り始め。100%の晴れ女のおかげで、雨の中に晴天が生まれる、即ち天気の境目が分かる。そこを逃げずにちゃんと描写しており、アスファルトが濡れていくところなんかは惚れ惚れしました。

 ただ、あまりにも美しすぎて実写と変わらないのではないか、という批判は全く当たらず、例えばモロにスポンサー関係だとは思うようなからあげクンをレンジで温めているところ。電子レンジの内側にカメラが置いてからあげクンが回っているところを映していてとてもじゃないが実写では厳しい。「グランドエスケープ」が掛かる最大の見せ場は、勿論スカイダイビングをしながらのシーンでこれもやっぱりアニメだからこそ輝く。あの瞬間に「グランドエスケープ」は大好きな曲になりました。

 

 それこそ「ライオン・キング」やMCUのようにもはやアニメーションと実写の境目は無くなりつつあります。そんな中で、「プロメア」「スパイダーマン:スパイダーバース」「海獣の子供」そして本作と、アニメじゃないとできないこと、アニメだからできることをしっかり作り手が表現してくれるのは本当にありがたい。

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2.セカイがなんだ

 「君の名は」でこれまでと違ってハッピーエンドを描き、一気に大衆エンタメに寄せた新海監督はその爽快さ、いい雰囲気を持ったまま今作では自身の作家性を爆発させた、といっていいでしょう。

 端的に言えば本作はボーイ・ミーツ・ガールであり、セカイ系を道筋を辿っていく。帆高が陽菜と出会い、別れ、そして取り戻す。そう、取り戻すのだ。それがいわゆるセカイ系の作品と大きく結末を違えたところであり、新海誠監督が高らかに若者にメッセージを歌い上げた瞬間なのだ。

 詳細は東浩紀さんの本あたりを読んで欲しいが、いわゆるセカイ系というのは世界の行く末という非常に大きな議題が自分、あるいはその周辺の異性(多分殆どが男子主人公でヒロイン)という非常に狭い関係性に託されている作品群のことを言い、こと新海誠監督はこの中で小さな関係性の犠牲の上で大きな世界を救うという選択をしてきた。その中で「君の名は」では時空が歪んでいるというギミックを挟み、最終的にはどちらも手に入れる、という展開で大衆エンターテインメントにセカイ系を昇華させた。
しかし、今回の物語は明確にセカイ系と訣別している。世界を救う、東京に晴れを取り戻すために陽菜は犠牲となる。そこまではセカイ系だが、帆高はその時、世界を犠牲にしてでも陽菜を取り戻すために猪突猛進する。「青空よりも君が良い」と。

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 世界を犠牲に彼女を取り戻す。この選択を少し後悔する素振りも見せる帆高に晴れの依頼をしていたおばあさんは長い歴史で見れば元の姿に戻っただけだといい、帆高を東京で世話した須賀は世界は最初から狂っているんだから気にするな、そんなものは自惚れだと言う。これは紛れもなくこれまでのセカイ系に対する新海監督の宣言だ。

3.大人になれない僕らを

 映画において雨、というのは非常に重要なファクターだ。かつてのハリウッドでは夜の路面を反射させるために夜には雨が降らされたし、諸々を隠すために降らせた雨もある。だが、雨の役割は大きくは心象表現であったり、この先の未来の危うさ、不透明さを示すものであったと言える。

 その点では、本作における雨は陽菜の存在を無くしてしまうかもしれないものであり、それでも陽菜に存在意義を与えるものでもある。そして最終的には雨が降り続く東京の中で2人で生きていくことが示される。こうした種々の表現は新海監督から若者へのメッセージと捉えるのが妥当だろう。

 何かの欲望に対して打算なしでとにかく突き進む、それが青さであり、若者の特権だ。そこには例えば正論で邪魔してくるやつもいる、現実が阻もうとする。それでも愚直に信じ続けて真っすぐ進み、困難の溢れる世界でもしっかり生きていけ。天気みたいな、ままならぬものなんて放っておくがいい。大雨の東京でこれから生きていく帆高には、そんなメッセージが贈られたように感じた。だからこそ、大人になれよ、なんて突き放した須藤も少年呼びが青年呼びになるに留まり、帆高はまだ大人になっていない。いや、大人にならなくていいのだ。

 そうした若者の無鉄砲さ、特権を高らかに叫ぶからこそ、この作品に限っては警察や児童相談所といった面々が無能に感じる様々がノイズになっていない。むしろ、正論で殴り掛かってくる彼らの存在が帆高たちの理解者になってしまう側の大人である須藤たちとも違う大人として提示されるから、法律なんて大人の作ったきまりの範疇で行動規範が規定されていない帆高に対する肯定が際立つ。正しさがある程度重要なのは、私自身強く思うが、正しさで殴る事の怖さは「万引き家族」などでも描写されている。

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 帆高の家出や、陽菜と凪の姉弟が母の死を機に子だけで暮らそうとしている理由なども殆ど語られない。だが、これも同様に若者の衝動性の肯定にむしろ寄与している印象を受けた。そこに細かな理由をつけてしまうと、言ってしまえばただのエゴで貶されて終わる帆高の行動原理にも逐一理由と説明が必要になってしまう。まああまりにも無策すぎる序盤の帆高にはちょっとイラっとはしたが。
これを10代のうちに私が見ていたら、本当に人生変わったかもしれない。

 余談だが、新海監督で雨、というとどうしても「言の葉の庭」が思い出される。それを考えると「君の名は」でもゲスト出演した花澤香菜が違う役で出演しているのも嬉しいし、「君の名は」メンバーの出演も嬉しいサービスだ。神木くんだ!とすぐわかったものの、エンドロールで瀧の文字を見てびっくりした。

 声優で言えば、予告編では正直違和感を隠せなかった本田翼が本編でも少し引っかかったが、それも思ったほどではなく、かなり完璧といっていい印象。平泉成平泉成だったが、刑事役だったら問題ない笑。
結局のところ、拳銃問題を含めてところどころ歪なのは否めない。だが、本作では確実に私の心は「楽しい」の更に向こうに連れて行ってくれた。「プロメア」は楽しいの深淵まで連れて行ってくれたが、「楽しい」を振り切った、しかし確実に「楽しい」本作には脱帽するしかない。

  あれだけの悲劇の後、それでも僕にできることがまだありました。精魂こめて作られた作品を受けとり、感想を言う。作品に笑って泣いて、怒る。そしてまた次の作品を待つ。このいつも通り循環を京都アニメーションが帰ってくるまで続ければいいだけだと思う。