抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

淡々と起こりゆく悲劇「ペトラは静かに対峙する」

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回取り上げるのは6/28公開ながらも取りこぼしつつありました、「ペトラは静かに対峙する」。同日公開の「スパイダーマン」「新聞記者」「凪待ち」などの話題作に埋もれてるのか、私のTLですら誰も感想を言わないという地味目な映画です。「新聞記者」も早く見に行かねば…

 なんかこういうどんどんタイトルの長くなるラノベ的なタイトルが増えているのはいかがなものか、などと思っていたのにタイトルが説明的だと中身が想像しやすくて手を伸ばしてしまいます。結果的には、全然予想と違う方に行く映画でしたが。

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WATCHA3.5点

Filmarks3.4点

(以下ネタバレあり)

 1.自己探求の悲劇

 本作「ペトラは静かに対峙する」は様々な特徴がありますが、まずはおおまかにストーリーを。

 画家のペトラは誰か分からない自分の父親を捜し、実の父ではないかと疑う芸術家ジャウメの下へ潜入。そこで家政婦の自殺が起きると…的な導入から、都合3人の男が死ぬまでを描くお話。サスペンスとかだと思ってたら全然違う方に行きました。びっくり。

 しかもこの映画、これを時系列ひっくり返しまくりで進めます。全7章構成なのですが、2→3→1→4→6→5→7の順で進んでいきます。

  2章 ペトラがジャウメの下へ。

  3章 ジャウメの家政婦が息子パウの就職の為にジャウメに抱かれて自殺。

  1章 ペトラと母の死別。

  4章 ペトラの芸術を否定するジャウメが実父ではないと告げる

  6章 ペトラと結婚したジャウメの息子ルカス。ところがジャウメは嘘をついてお

      り、2人は兄妹。これを知ってルカスは自殺。

  5章 ペトラとルカスの結婚

  7章 パウがジャウメを射殺。ルカスはジャウメの子ではなかった。

 ネタバレ込みで言えば、こんな感じ。誰かが死ぬと過去に戻る、みたいな感じですかね。この時系列シャッフルを各章の頭でタイトルを出す「女王陛下のお気に入り」方式でやるんですが、その章の間の時間の経過とかをちっとも教えてくれないのでこれは集中力が必要。正直言えば、そのまま時系列で流しても十分だったのかな?と思ってしまいました。

 この話でペトラが探しているのは実の父ですが、ストーリー的にはもう一つ、芸術とは何なのか、ということもペトラとジャウメで比較されています。

 ペトラの描く絵は明らかに姿の見えぬ父の姿を探しており、彼女は芸術には真実を求める、と言っていました。そんなペトラの絵はジャウメに「自己セラピー」だと痛烈に批判されています。一方のジャウメの作品は芸術としてどうか、ということよりも商業的成功に重きが置かれるような描かれ方ですが、筆を折るのはペトラの方。自己完結的な表現ではなく、他者に見られる意識が芸術をマスターベーションから一段引き上げるのかもしれません。

 で、肝心のペトラの実父。ペトラの実父はジャウメだったのですが、ジャウメはペトラには嘘を告げ、兄妹であることを知らせずに息子ルカスと結婚させ、幸せの絶頂で真実を伝え絶望に突き落とす。控えめに言ってクズですよね。家政婦の自殺も息子の就職口が欲しいなら抱かせろ、と家政婦に迫って、しかもその事実をルカスに喋ったりしてます。めちゃくちゃヘイトが溜まるこのジャウメを好演しているのがジョアン・ボティさん。御年77にして演技初挑戦だそうです。そういう意味ではこの方のプライベートがどうなってるのか猛烈に気になる…。

 ジャウメも含めて死んでいくのは男たちばかりで、ラストシーンはペトラが娘をジャウメの妻マリサに初めて会わせるというとこで終わります。この辺はわかりやすくフェミニズム的な動きにも見えるかもしれませんが、個人的にはもっと大きく、嘘をつく人間の愚かさ、甘さが描かれている印象。ペトラの描いていた芸術は確かにジャウメの言う通りでしたし、マリサだって大きな嘘をついてます。嘘や秘密が人々を悲劇に陥れていく、そんなメッセージ性が少しある神話とか寓話に近い話だったのではないでしょうか。

2.止まらぬ緊張。でもそれって。

 ストーリー的に時系列シャッフルなのに説明を排除しているので集中力を要求されますが、それよりも何よりも注目するのはカメラワーク。

 各章のはじまりが開いている扉を通して演者を映していたり、カメラが静かに人物の動きを無視して移動しまくるし、登場人物を正面から捉えることもなく横顔がメイン。会話をしていても片方しか映さず、誰と会話しているかすら想像力を要求してくる。ほんとにカメラが自由意思を持っているかのように動き回るので、映画のタイトル的にはペトラの主観視点の物語かと思っちゃいますが、ずーっと客観視点。しかも音楽使いも静謐に努めており、ここは文字通り本当に「静かに対峙」している印象。

 こうした撮影や音響は緊張感の持続に繋がるわけです。いったいこれは誰と会話しているのか、何が起きているのか、何年経過しているのか。時系列に沿ってやっていくと一気にドキュメンタリックになって自分もその場にいるかのような感覚を共有できると思うのですが、章立てと時系列シャッフルでどっちかっていうと演劇とか見てる感じ。「デトロイト」とか「ハート・ロッカー」とかキャスリン・ビグロー監督はそういう共有させる感覚の上手い印象です。

 んでもって、この映画に戻ると、そうした緊張感の持続がちょっと持たないというのが正直なところ。注意力を払い続けるのに緩急が殆ど無く淡々と、粛々と進んでいくのでどっちかっていうと緩慢、と捉えられてしまうところが否めない。そこをもう少しどうにか出来ればもうちょっと良かったかな~、と思います。まあこの日は「八甲田山」を午前10時に見て、ガルパン最終章第2話でエンタメを感じ、空き時間を書店巡りに使って疲れた感じの状態で見ちゃったせいかもしれません。感想がちっとも聞こえてこないので、是非他の人の感想が聞きたい一作でした。