どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。
この記事が公開されているということは、私は既に…
という冗談はさておいて、この記事が公開されているのが果たしていつなのか、おそらく初夏らしいのですが。というのも、本記事執筆時点ではまだ北海道が地獄の寒波に襲われているころ。
何を上映するのかわからないミステリーツアー的な試写会(スニークプレビューと呼ぶらしい)で見てきたのです。「リアル」「クリーピー」「散歩する侵略者」と見る作品がことごとく微妙で有料だったら見に行かなかったと思うので貴重な経験だったと思います。
さて、Filmarksさんからお許し、というかレビューしなさいよ、とのお達しが来たので無事解禁。試写会で見ておいて申し訳ないですが酷評記事になります。
WATCHA3.0点
Filmarks2.8点
(以下ネタバレ有り)
1.ドキュメンタリックなロードムービー
今回の作品はウズベキスタンオールロケのロードムービー。黒沢清監督のイメージとしては、不穏な人間関係を描いたものが多い中でとても不思議な作品という印象の仕上がりになりました。
いきなり場面が始まるのはウズベクのホテルの一室。ここでロケ隊に合流するまでの過程で主人公葉子がウズベク語に不案内なうえにどうやら現地に溶け込む気が無いことはわかります。こっからラストに山頂で愛の讃歌を歌うところまでのロードムービーとなる訳ですが、うーん正直。
演技の話からすれば、主演の前田敦子さんは「散歩する侵略者」で愛の概念を奪われた演技が良かった印象なのでそこから今回の話に繋がったんだと思います。今回の前田さんは、ちゃんと食べ、涙を流し、回転するアトラクションにも乗り、歌うのでしっかり体を張っていたのは素直に偉いと思いました。それすらやらない作品もありますからねぇ。
共演は嫌なディレクター役に染谷将太さん、職人気質なカメラマンに加瀬亮さん、いかにも優しそうなカメアシに柄本時生さん、通訳でアディス・ラジャンボフさん。基本的にこのメンバーしか映りません。それぞれのキャラクターがしっかり印象に残る演技で、特に染谷さんのウズベキスタン全体を侮っているいやーなキャラクターは好演で、まさに黒沢清作品というキャラクターでした。メシ屋のくだりとか最高。
ただし、これだけ芸達者なメンバーを集めていたのにイマイチな場面といい演技の場面の差が激しかった印象です。映画内番組の撮影をしているときは作ってる感じがいいんですが、カメラ回っていない時のトーンがどこかズレている感じ。そして、普段から仲の良い柄本さんと前田さんの絡みはとても良い距離感だったり、加瀬さんと前田さんの朝食でのシーンはなんだか説明的で棒読みに近い。おそらくですが、全部演技を役者にぶん投げているのでそうなってしまうのでしょう。うーん。
音楽は愛の讃歌以外はかからないので、ほぼ自然音。カメラもほとんど前田さんから動かないので本当に撮影に密着しているような、ドキュメンタリックに一瞬一瞬を切り取るような形になっています。たくさん出てくるウズベク語も字幕が出ないのでなにもわからないし。だからこそ、中途半端にPOVやニュース映像を入れるのはフィクションラインが変わってしまうから止めてほしかった。
2.共感性の全くないロードムービー
ロードムービー。それは、一定の地点に移動する過程で出会ったものや人の影響を受けて自分もプラスに変化していく物語、という風にとらえています。その点で今回の作品は、納得いかぬ点の多いストーリーでした。是非「グリーンブック」でも見て欲しい。
まず重要なのは、主人公のキャラ付け。彼女に感情移入して見ることが出来なければ、成長を実感できない訳です。その点で今回の葉子は失格。
まず彼氏とLINEをずっとしていて、Wi-Fiの入らないホテルにイライラする描写なんかもあったりするんですが、そのLINEの自分が送信したメッセージを音読。これ、あるあるなんですか?私は正直軽めに引きました。しかも、後に彼の職業が港湾消防士であることが語られ、え、じゃあコイツ寝れる時に寝ないといけない消防士に「寝ちゃったの?」爆撃してたの!?と完全にドン引き。
こののち、飼われているヤギを野生に返すことを提案したり、たまたま行った美術館のホールで自分が歌っているかのように錯覚してみたり、バザールでカメラを回してみたら撮影禁止区域で警察に追われてみたり。最終的に警察署で東京のコンビナート火災を知って彼氏の生死を案じて号泣して見たり。バザールで警察に追われるシーンとか急にサスペンスになるんですけど、作品をどっちにハンドリングしたかったのかよくわかりませんでした。
こうした経験を経て、冒頭で諦めていた怪魚探しをもう一度トライし、そこで得た情報を基に山に登って歌うわけです。ロードムービーとしては、この歌うところで成長を表現することになるわけですが、そこに至る心境の変化等は全く分からないし、どのエピソードがそうさせたのか分からない。自然に返したはずのヤギを見つけた(絶対別個体だと思うけど)ことが歌い出すきっかけでしたけど、別にそんなに心に引っかかっていたわけじゃなさそうだし。事前にテレビレポーターは反射神経で出来るけど、歌うのは心に込み上げてくるものがないと歌えない、なんて言ってましたが何が込みあがるというのか。そもそも、あんたが歌っている時間はカメラさんが風景撮るための時間で、音入ったらまずくないかい?と。最後まで共感は出来かねました。
結局まずかったのは大きく言って2点。
まずリアリティラインが曖昧なこと。前述のとおりドキュメンタリーに近い撮影なのにニュース映像やPOVが入って観客が没入感を奪われる。それから劇場で愛の讃歌を前田敦子が歌い出すのが心内世界なのでここから見えてるものを信用できなくなる。極めつけは、映画内番組の撮影の題材で、水族館にもいる怪魚を探していたはずが、どう聞いてもUMAのような生き物(全身の毛が長くて角のある哺乳類)を探しに山にいくわけですが、ラストのロケーションありきのような話運び。ヤギを野生に返して、ウズベキスタンの料理紹介して、町の遊園地のアトラクション乗って、UMAを探す。どんな番組だよ。劇中でうちの番組にそういうのいらない、的な話題があるだけに際立ちます。
2点目は結局何のメッセージかわからないこと。これは意図が不明確というより、詰め込みすぎ。おそらくは、相手を知らないままに拒絶することはやめて、ちゃんと知ろうよ、話そうよ、というのがあると思うのですが、まんま警察の人に言わせていて萎える。
そのうえで、彼氏の生死の話題の後に、死んでるだろうと言われたヤギを見つけて歌い出すので生の尊さも大事なメッセージに見える。
そう思えば、エンタメ性の担保なのかサスペンス描写や、テレビ界の裏側だっ!みたいなテイストも残っているし、結局どれなの?感が否めない。
まあ自分で選ぶことはない映画だったと思いますし、黒沢清監督との相性の悪さはこれで確信に変わりました。自発的に黒沢監督の新作を見ることはもうないでしょう。過去作「CURE」なんかは見るかもしれませぬが。