抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

これは対岸の火事ではない「判決、ふたつの希望」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 今回は一日中TOHOシネマズシャンテに入り浸ったスーパーシャンテDAYの本丸にしてTBSラジオ「たまむすび」内コーナーアメリカ流れ者で町山智浩さんが紹介し、同じくTBSラジオ「セッション22」でもメインセッションで取り上げられ、監督院譚ビューも放送されたレバノン映画。「判決、2つの希望」になります。

判決、ふたつの希望(字幕版)

 

WATCAH4.0点

Filmarks3.8点

(以下ネタバレ有り)

 1.このストーリーは突然に…

 簡単に言ってしまえば中東の法廷劇といえる本作。そのきっかけは非常に些細で突然訪れたものでした。違法建築の工事の現場監督をしていたヤーセル。ある家のバルコニーの水道管を移設しようとしますが、これを家主のトニーが拒否。無理やり敷設された水道管を破壊したあげく、嫌がらせでわざと水を水道管通してかけるという所業。

 流石に怒ったヤーセルが「クソ野郎」と思わず言ってしまいトニーも激怒。謝罪要求へとつながっていきます。上司に促され、謝罪に向かったヤーセルですが、「シャロンに抹殺されてれば」と、パレスチナ人全体への侮辱をうけ謝罪どころか、殴って肋骨2本折る暴行沙汰になってしまいました。

 うーん、ここまで書くと明確にトニーがクソ。仕事を全うしていたヤーセルに対して嫌がらせしたあげく、ヘイトスピーチを面と向かってかましてる。対してヤーセルは悪態をついた、及びすぐに謝れなかったという点こそあれど、どう考えてもそれを超える侮辱を受けており、思わず手が出るのも納得という感じ。

2.二段構えの法廷劇

 この映画の法廷劇が面白いのは、当事者同士の裁判と互いに弁護士を立てての裁判を2回しているところに感じました。

 1度目の裁判はヤーセルが殴ったこと自体を裁いているわけですが、どちらも身一つで法廷に立っています。ここでトニーのパレスチナ人に対する差別的な感情が明らかになると共に、ヤーセルはトニーの侮辱的文句は黙秘。ここでもヤーセル株が上がりっぱなし。と同時に、しっかりとトニーが違法建築を放置していたことなどを裁判官も指摘 しており、正直これで話は決着している。

 ところが、このあと医師に指示された肋骨のための安静をトニーが破ったせいで失神、連鎖反応のようにトニーの奥さんも早産となり赤子にまで影響が出てしまいます。それをめぐっての裁判が互いに代理人を立てての裁判となるわけです。正直、今回もトニーが安静にしてないのが悪いじゃねぇか、と思ってしまいますが。そういった点では最後まで、あんたはバカだ、裁判なんてクソだ、子どもが一番大事だと言い続けていたトニーの奥さんが一番まともで一貫していた気がしますね。

 今度の法廷は、当人同士が証言することは殆どなく、いわゆる法廷戦術が繰り広げられていき、驚きの過去が次々と現れていくことになります。前段で不格好ながらもちゃんとぶつかっていた裁判を見せていることでこの裁判のもつどこか気持ち悪い部分が際立っていました。

 裁判で明らかになっていくのは、ヤーセル自体に過去に暴行歴があったこと、トニーはパレスチナ人からの虐殺で家族を失っており、侮辱の言葉にも背景があることなどなど。前半部分でヤーセルに肩入れしていても、短いスパンでやっぱりこっちが悪い、いや、あっちが悪いと次々と入れ替わっていくのが心を落ち着かせません。担当した互いの弁護士が親子という条件も重なり、最早当人たちの手の届かないところまでどんどん話が転がって逝ってしまうのです。

 この弁護士、特にトニーの側に立っている弁護士がまあ非常に悪質な弁護士で、トニー以上の差別主義者で極右的、自身の裁判の負けを取り返すためにも必要ない他者をどんどんと傷つけていく。必要のない二次被害がバンバン生まれていく惨状。ちょび髭に相手のいう事を遮って自分の言いたいことを通し、身振り手振りも大きな演説上手、ということでヒトラーを想起させていたようにも感じました。

3.希望と絶望

 もはや当人たちにどうしようもなくなり、両者は大統領に和解を提案されるレベルにまで世論も刺激し事態は深刻化。その大統領邸からの帰り道にヤーセルの車が故障。見かねたトニーがこれを直し、両者のちゃんとしたコミュニケーションが初めてとられます。

 その後、暴かれたトニーの背景を知ったヤーセルがトニーに対して殆ど同じ立場だったことを知り、同じ意味の言葉をかけて殴られる、という行為を通して互いに理解し、ヤーセルはここで初めて謝罪。私的な闘争という部分ではちゃんと決着がここで見れるわけです。

 邦題の2つの希望というのは、まさにこのこと。レバノンでは多数派のキリスト教徒のトニーとパレスチナ難民でイスラム教徒のヤーセル。信条や人種の違いがあっても、それぞれが似たような経験をしており、ちゃんと理解し合える。そんな希望的な未来があるのではないか、そんな明るい気持ちになれるラストだったといえるでしょう。

 と同時に、極めて絶望的な気持ちにもなりました。

 当事者同士が話し合って解決できることが提示されたと同時に、第三者代理人が入ることによって当人たちの手が届かないところにいってしまう。この描写は、こと中東においては完全にアメリカとロシアの代理戦争の側面が浮かび上がってしまいます。トランプ大統領イスラエル大使館のエルサレム移転なんかを思い出す方も多いのではないでしょうか。

4.学ぶことの大切さ

 とにかく今回の映画で痛感したのは自分の無知です。

 いわゆる社会科系科目的な関心は強いと自認していたのに、レバノン内戦のことを良く知らないどころか、レバノンキリスト教徒が多数派だということすら知りませんでした。知ってるのはベイルートに行ったことのある友人の話程度。

 だから、トニーが言った「シャロン」という侮辱文句がどのような意味なのかも終わってから調べないとわかりませんでした。

 もっともっと色んなことをしっかりと勉強していかなくては、と思うと同時に学びに終わりはないのだなぁと痛感した作品となりました。