抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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観察映画第8弾「ザ・ビッグハウス」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 さあ待ちに待った想田和弘監督の観察映画第8弾。「ザ・ビッグハウス」の感想でございます。 

ザ・ビッグハウス(字幕版)

WATCHA3.5点

Filmarks3.7点

(以下ネタバレ有り)

 1.スタジアムへの関心

 さて、W杯の記事を書くなどサッカーへの関心の高い私。中でも何度か言及していますが、J1のFC東京のサポーターでして、そこそこのスタジアムには足を運んでいるんですよ。

 今年のJ1の18チームのホームスタジアムのうち、行ったことがあるのは16スタジアム(一部1チームで2つとかもあり)。J2の22チームのホームスタジアムでは重複を除くと、11個。J3でも相模原に行っており、そのほかにも中立地のスタジアムなんかも数多く行っております。

 更には野球観戦も行っているので東京ドーム、西武ドーム神宮球場甲子園球場ヤフオク!ドームなどプロ野球のスタジアムもお邪魔しておりまして。ビッグハウスの舞台ともなるアメリカでもシアトル・マリナーズの本拠地セーフィコ・フィールドでの観戦実績もも誇っております。

 ということで、スタジアム自体への親近感がビンビンな訳ですよ。色んなスタジアムを知ってるからこそ、アメリカのアメフトのスタジアムなんてどうなってるんだろう?という楽しみMAXで劇場に向かったわけです。

 なんだったら、想田監督の前作「港町」を観たのは想田監督の作品が好きなのもありますが、これに向けた前振りでもあったわけですよ。 

tea-rwb.hatenablog.com

 2.アメージングアメリカ…でも知ってる?

 そうやって見にいった「ザ・ビッグハウス」。単純にアメリカのスタジアムの規模が凄すぎてウワァー!の連続でした。連日10万人越えが詰めかける、それも大学スポーツで!正気ですか!?(cvケンドーコバヤシ)そりゃむこうの映画でアメフトやってるやつが陽キャラ、成功者扱いされるわけですね。

 その一方で、スタジアムにある種通いなれた私にとっては規模こそ桁違いなものの見知った光景が多かったのも事実なんですよね。

 開門前からの人だかり。ダフ屋。便乗して売ってる人。記者席。貴賓席。試合に熱中するファンに声掛けするスタジアムDJ。試合に背を向けて仕事を全うする警備員やチア。地下というかバックヤードでの食事作り。

 こうした光景って別にアメリカ特有っていうか、スタジアムとスポーツの構造なんですよね。日本でだって、早慶戦で今回のような半ば宗教的なまでな声援を送るアマチュアスポーツだってありますし、プロスポーツなら言わずもがな。プロスポーツであれば、試合後の選手・監督会見やテレビ番組もよくある話です。まあこれが大学アメフトのアマチュアだから凄いんですが。アメリカ特有感の出るのは働く人種だったりするかもしれませんが、基本的にそこに有意さも感じられず。片付けに有色人種が多かったように見受けたぐらいでしょうか。トランプ云々は撮影時期の問題ですし、宗教的演説はスタジアムとかアメリカとか関係なく人のいるところで起こる事ですし。

 そのため、大きく驚いたシーンはなく、印象的なのは大学のホームカミングデイ。そこでの学長のスピーチです。アメフトが全米3位ですよ!というのが大きなアピールになる、そしてそれが寄付金に繋がる、というのも驚きですが、その寄付金の使い道として、研究に助成するお金が増えたぞ!とか、奨学金の利用者が増えて学生の負担は何年も増えてないぞ!と学校がお金をしっかりと使ったことがアピールになることには驚かされました。とにかく緊縮主義的な日本だと、例えば研究が反日的だから助成金を打ち切れ、なんて戯けたことを言い出す国会議員までいるわけで。そうした現状を考えるとアメリカはいい意味でも悪い意味でもですが、資本主義・自由主義個人主義が進んでいるなぁと思わざるを得ませんでした。

 あ、そうそう。スタジアム通いに慣れた人間としては10万を超える人間の帰宅の導線とトイレを映してほしかったですね。特にトイレ。スタジアムにとってトイレをどう位置づけるかって結構重要なんですよ。

3.観察映画の新境地としては…

 想田監督の観察映画と言えば、ナレーションやBGMのつかない、自力で情報をかき集める(いい意味で)疲れる映画でした。その舞台がアメリカとなるどころか、カメラの持ち手が10人以上になったということがこれまでの観察映画との大きな違いでしょう。

 正直最も懸念していたのは、字幕の存在です。どうしても視線を字幕にやらなくてはいけなくなるので目に入る情報量が制限されるのでは、という懸念が鑑賞前には多く、おそらく吹替であってもそこにキャラクターが介入してしまうので別の問題が発生するでしょう。

 しかし、この問題、実に気になりませんでした。そこまでちゃんと会話するところが多くなかったというのもあるでしょうが、字幕を見ながらでもなんとか情報を集めることが出来るように編集されていたと思います。

 問題となったのはもう一方。カメラの持ち手が増えたことです。想田さんとは違うカメラワークが見られることは視点が増えることを意味するのでむしろ大歓迎で、食洗器の底からのカメラなんてのは凄い発想だなあと感心したものです。

 ただ、カメラに不慣れな撮り手がいたのか、一部の場面でどうしてもカメラの移動が早すぎたり、ブレたりで酔ってしまうような時間がありました。観察している・させている映画なのに、視点の多様性を担保する代わりに視線がブレるのはいただけないかな、と思います。

 いずれにしても、こうした課題もアメリカでの観察映画が初めてだから起きた物だと思うので、このままアメリカでの観察映画も続けてもらって、日本の今をカメラに収めるだけでなく、アメリカの今を切り取ってほしいと想田監督には願います。