抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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痛くて尊い青春時代「レディ・バード」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 続いては、町山智浩さんがいつかのたまむすびで紹介していて見る気になった映画、「レディ・バード」です。90分ほどの上映時間にぐぐっと素敵な?1年が詰まっていました。

レディ・バード (字幕版)

WATCHA4.0点

Filmarks4.1点

(以下ネタバレ有り)

 1.痛くて尊いイニシエーション的青春

 この映画の主人公クリスティンは自分で自分をレディ・バードと名付け、先生や親にそう呼ばせ、わざわざ訂正を書いて回っている大学受験生。町山さんは芸能人でもないのにサイン考えてる、と表現していましたが確かに痛い。自己表現としてカトリック校なのに髪を奇抜な色に染め、目立つようにしています。

 彼女が嫌いなのは自分の名前だけでなく、母親、そして地元のサクラメントも。嫌いだから、どうにかしてNYの大学に行きたい。だけど経済的に母親からは否定されて…から実際に大学に通い始めるまでの1年間を描きます。

 この1年の間にクリスティンは多くの通過儀礼を経験していきます。学校行事としての演劇。初めての恋人。友人と距離を置きスクールカーストの高い新たな友人。そしてそことの決別と親友との復縁。処女も捨てるし、たばこも酒もエロ本も、18歳の誕生日を通過するのでなんでも経験していきます。そして受験に成功し、NYに引っ越すことで子どもとしての最後の通過儀礼、親離れを経験するわけです。

 初めての恋人は実はゲイだったり、次の恋人は陰謀論者のバンドマンのティモシー・シャラメとかいうアカン要素しかないのに童貞だと信じ騎乗位で処女を捨てて最悪と嘆き、見得のために別れた彼氏の祖母の家を自分の家と言い張ってしまう。受験に必要な内申の為にこっそり苦手な数学の先生の手帳を捨てて自己申告で成績を上方修正。人生がうまくいってるのか、いってないのか。なんていうか、触るものみな傷つけた、みたいな感じです。

 この映画でのラストは親離れ、特に母親離れ、そして自分を受け入れること、青春時代を通して大人になることです。嫌いなはずのサクラメントの描写の細かさから、教師からpay attention とlike は紙一重だ、のように示唆される劇中。そのサクラメントを離れたのちに、母の想いを知り電話をするも留守電にメッセージを残します。そしてラストには出身地を問われればサクラメントと答え、クリスティンと名乗り、自分を受け入れてNYでの大学生活に身を投じていくわけです。

2.母離れは子離れ

 この映画は子どもが大人になる為のイニシエーションを描いていると同時にそれは、親にとって巣立ち、子離れを意味します。

 娘とけんかしてばっかりの母親。夫が失業、息子が無職でその彼女まで養うために夜勤までして働きづめ。それでつい当たっている部分もあるにせよ、クリスティンがそうであるように、彼女もまた娘に正直になれないでいるわけです。

 その陰で実は父親がクリスティンの大学進学に関する書類手続きを進め、娘がこっそりと自分の未来を自力で決めていっていることを知らず、唐突に子離れの瞬間を突き付けられるわけです。

 手紙を書いては捨て、書いては捨て。結局かけないまま当日。空港まで送るも、やっぱり正直になれず駐車場代を理由に別れを車内ですませてしまいます。さあ、ここから。いったんは車を出すものの、思いとどまり場内を一周。車を飛び降りて空港内に飛び込みますがそこには既にクリスティンを見送った後の夫がいるだけ。

 この映画においては、娘も母も、互いに対して正直になるのが遅すぎるわけです。だから、お互いに正直になった時には相手がいなくなってしまう、通話できないのです。勿論、これからいくらでも再構築ができるわけですし、クリスティンが自分を受け入れて終わっているので、その可能性は高いと思うのですがあえて、和解を描かない、という選択が私にはとてもよかったように感じました。

 

 世界中のどこにいても、大人になる通過儀礼は必ずあります。そういった意味で、この映画は誰にとっても、私の映画だ!と言える映画であると同時に、お子さんのいらっしゃる方には、自分が投影できる先が2人もいる映画となったのではないでしょうか。