抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

デルトロの描いた愛に溺れる「シェイプ・オブ・ウォーター」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 アカデミー賞作品賞を見事受賞したギレルモ・デル・トロ監督最新作。何といってもパシフィック・リムで大爆発した特撮・怪獣愛が凄い監督であることが有名ですが、怪獣映画としても初めてのオスカー獲得ということで、ゴジラとか特撮好きにも嬉しかったですね。

 というわけで、感想です。鑑賞後のションベンは天井まで飛ばないように気を付けました。

シェイプ・オブ・ウォーター (字幕版)

WATCHA4.5点

Filmarks4.4点

(以下ネタバレ有り)

 1.「彼」

 やっぱり注目されるのは南米の川から連れてこられたという「彼」。南米ということや、手枷足枷がつけられたり、水槽にぶち込まれるなど、移民のメタファーを感じられたりしますが、音楽を愛し、コミュニケーションが取れる半魚人であります。デザインとしてはウルトラマンに登場した怪獣ラゴンを思い出しました。

ウルトラ怪獣シリーズ 11 ラゴン

 「彼」自身の描写もかなり細かく、そしていとおしく見えてくるし、監督の怪獣への愛が投影されていたと思います。

 どうでもいいけど、アマゾン川の流域かなんかで捕まえたとか言ってたのに何故塩分濃度8%だかが必要なのだろう。海中ですら3%だったと記憶しているのだけれど…中途半端に勉強した覚えのあるだけに、浸透圧とか大丈夫なのかとても心配です。透過膜とかどうなってるのかしら。あれだけ調べてたんだからわかってるのかな?

2.みんながみんな素敵。

 今回のストーリーで戦っていた人々はみな、排除の対象になっている人々でした。そもそもがエリートたちの中で掃除婦として働くブルーカラーであるイライザとゼルダですが、イライザは喋ることができない孤児で、ゼルダは被差別層といえる黒人です。イライザのお隣のジャイルズは同性愛者であり、リストラにあった人物でした。相対したストリックランドやホイト元帥といった人たちは軍出身のエリートであり、かなり対比的と言えるでしょう。「彼」も含めてこの映画で輝いた人たちはみな反差別的なメッセージを内包していたわけです。

 この映画はイライザの日常から始まっていきます。目覚まし時計を止め、自慰をして、卵をゆで、サンドイッチにしてジャイルズに渡し、出勤していきます。このパートだけでイライザの抱える障がいについてもわかるように描写されており優しいつくりな訳ですが、ただの日常パートもこの作品においては排除された側の人間であっても普通の変わらない日常があるということを高らかに宣言しているわけです。ここを表現しているからこそ、「彼」にも当然日常があるし、生殖行為もある、という描写につながるわけです。どんな人たちにも日常もあるし、未来もある。素晴らしいじゃないですか。

3.一番怖いのは…

 この小題の時点でオチは「あ、人間が一番怖いってやつね」ってなるし、その通りではあるんですが。「彼」は出世と保身のためにストリックランドをリーダーとするアメリカサイドとソ連サイドの駆け引きに用いられているし、そもそも連れてこられたのも冷戦の影響あるいは科学の発展のためみたいなお題目があったでしょう。保身に目がくらんで人を殺し、周りが見えなくなっていたとはいえそんな貴重な検体を殺そうとしてしまったストリックランドには冷静に反省していただきたいところですが、喋れないイライザの喘ぎ声を聴きたいとかゲスすぎることを言っているので、死ぬのは天誅。すっきりしますね。

 話を戻せば、結局差別をするのも、他に犠牲を強いるのもやっぱり人間。今回の話は本当に人間の醜さをしっかりと描写することで、逆に人間の美しさについても描いていたと思いました。

 にしても、あれだけ厳重に運び込んでおいて監視カメラの配置とか、警備の仕方とかがあまりにも杜撰すぎて。それでいて脱走された後は、ソ連の凄腕スパイのチームの仕業に違いないって。どれだけ防備に自信を持っていたのだろう。映画を見ていた我々的には、イライザたちが奪還に成功したほうが割とありえるように見えました。冷戦で対立している状況では情報が命なのに何をやってるんだ、それでいいのかアメリカよ…感は最後まで拭えませんでした。

4.線引きの難しさ。

 この作品は「美女と野獣」へのアンチテーゼでありました。結局イケメン王子と城で暮らすという極めてエリート的な帰結を迎える作品に対し、どんな相手でも意思疎通できれば愛を育めるというメッセージを発しています。まさに怪獣愛でもありますね。

 ただ、これを少し突っ込んで考えると迷路に入ってしまいそうです。意思疎通ができているのかどうかは本来的には主観に基づきます。共通の言語文法を共有しない限りはわかった気でいることしかできません。「彼」とイライザは確かに通じ合っているように見えましたが、それが例えば現実におけるペットと飼い主の関係とどう違うといえるのでしょうか。興味関心はカケラもありませんが、動物との生殖行為というジャンルもあります。それらを糾弾する立場に我々はあるのか。

 あるいは、「彼」を研究所から海に逃がすという行為は、外来種を国内に持ち込んでから放流する、逃がす行為と何が違うのか。人と動物。そして怪物。この境目は極めて曖昧で恣意的だからこそ、どう線を引いていくのか本当に難しい迷路です…

 無論、「彼」とイライザが海に沈んでいくシーンは文字通り愛におぼれていく表現として美しく、観劇中に「うわ、ブラックバス放流と同じやん」とか思わなかったことは申し添えておきます。

 とはいえ、この映画としてはしっかり感動できますし、ぜひ見ていただきたいです。