抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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アカデミー大本命の「スリー・ビルボード」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 気づけば2月も月末。月頭に見たのに全然ブログを更新しませんでした。悪癖ですね。2月の映画、2月のうちに。アカデミー賞ノミネート作品の「スリー・ビルボード」の感想です。f:id:tea_rwB:20180222235113j:plain


『スリー・ビルボード』予告編 | Three Billboards Outside Ebbing, Missouri Trailer

WATCHA4.0点

Filmarks4.2点

(以下ネタバレ有り)

1. 全員罪人

 登場人物たちは、みんながみんな「良く」はないんですよね。アメリカの田舎っぽい感じで、黒人差別も横行していますし。では、どんな人物たちだったか主役級の3人を中心に振り返ってみます。

 まずは、フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッド。3枚の看板で映画の起を担い、そして中盤には警察署に火を放つ豪胆さ。やんわりと警察サイドに立つ市井の人々にもしっかり反撃して、映画の中だけで複数件の刑事事件になりうる凶悪犯でもあります。また、彼女を守ったジェームズへの振る舞いなどを考えると間違いなく善良な市民ではないですね。彼女の抱える罪、そして怒りは娘の死の遠因が自分にあることでした。襲われればいい、とまで言い放った後、娘は強姦致死にあってしまう。母親として当然やりきれない、自分を許せない思いがあるでしょう。それが彼女の原動力だったように思えます。

 次は、助演男優賞にノミネートしている方々。

 サム・ロックウェル演じる悪徳刑事ディクソン。彼の罪は数えるととんでもない数になりますね。黒人差別のレイシストであり、署長の死後は広告屋のレッドを殴打し入院させるまでに。言うまでもなくただのクズではありますが、ただ、彼の最大の罪はそんなことではありません。彼の最大の罪は、おそらく同性愛者であることです。自宅に帰れば年老いた(とはいっても血気盛んな)母と2人暮らしで女性の影は見えません。更には、署長の手紙から考えると、署長に淡い恋心を抱いていたのでは、と推測できます。この作品の舞台であるミズーリ州は調べたところによると、殆どがキリスト教徒。当然キリスト教においては同性愛は到底許されない大罪です。おそらく、自分がいつ差別される側に回るのか、怖くて仕方がないからこそ黒人差別の先頭に立つようなことになったのではないでしょうか。デトロイトしかり、暴力は常に恐怖から生まれるものです。

tea-rwb.hatenablog.com

  そしてもう1人。ウディ・ハレルソン演じるウィロビー署長。末期癌を患いながら職務にあたる人物ですね。そのことを盾にミルドレッドに看板の撤去を持ちかけるなど、警察・司法としての論理より、組織・田舎の論理を優先させようとするあたり彼も善人とは言えません。ストロベリーナイト(映画版及び小説インビジブルレイン)の和田さんは定年間近でも、しっかり引責辞任してましたよ!

 彼の最大の罪は年のわりに若くてきれいな奥さんがいること!!…ではありません。彼の罪は自殺したことです。キリスト教において自殺もまた許されざることであります。

 こうした3人の罪は、すべて司法では裁けません。署長に至っては死んでしまっています。彼らの罪は宗教的、精神的なもので神あるいは他者に赦してもらわなければ浄化されません。そう、この映画は罪を抱える人たちの赦しの映画といえると思います。

2.もってけ!アカデミー賞

 この映画の特徴は圧倒的な脚本力と抜きんでた役者陣の演技といえるでしょう。

 主演女優賞だけでなく、助演男優賞に2人ノミネートはとんでもない快挙。特に、サム・ロックウェルは粗暴でありながら、署長の手紙で自らを肯定してもらい、そこから事件にもう一度向き合う演技がすさまじく。個人的には彼でオスカーは決まりではないでしょうか。

 また、それ以外の俳優陣もお見事。広告屋レッドは軽妙で少しムカつく具合が最高でしたし、後述する病室のくだりも素晴らしかったです。

 何故か署長の自殺を知っていたかのようにすぐにやってくる新署長もただの四角四面なエリートでもなく好演でした。

 脚本も、次から次に予想外のことが起こって転がっていくのに、それがただびっくりさせるためだけの展開ではなく、納得できる。びしっと決まっている脚本の中で演技プランを綿密に練れたからこその名演だったともいえるでしょう。

3.それは僕たちの希望の光

 前述のとおり、罪と赦しがテーマの本作。ディクソンは署長の手紙で赦され、署長は旅立っていきました。では、ミルドレッドの罪は赦されたのか。そこで登場するのが、思わぬ人物が発していた言葉。

 「怒りは怒りを来す」

 この言葉が、この映画の本質を表した言葉ですね。この言葉を発したのがミルドレッドの別れた夫の若いガールフレンド。バカ丸出しなんですがこの映画で数少ない悪意のない人物でもあります。彼女に対してレストランでミルドレッドがワインの瓶を持って行ったときは絶対殴ると思いましたよね笑

 もう1人この言葉で思い出したいのは広告屋のレッド。ディクソンに負わされた怪我で入院していたところにディクソンもまた大やけどで入院。その瞬間自体は劇場でも大笑いが起きていましたが、その後。オレンジジュースを分けるだけでなくストローの向きまで合わせてあげる。まさにレッドがディクソンを赦し、怒りの連鎖を断ち切った瞬間でした。

  こうして色んな人が赦しを得て、そして怒りの連鎖から解き放たれたディクソンとミルドレッドは旅に出ます。2人はこのあと殺人を犯すのか、それとも。かなりふわっとしたラストでしたが、少なくとも殺すと即断していない。それこそがこの映画のメッセージだと感じました。

 この作品は見終わって、すぐに「ああ、いい映画をみたな…」と思ったんです。思ったんですが、なかなかにこれが名状しがたい。言葉にするのが難しい複雑な感想となりました。

 当初、予告編を見る限りでは、殺された娘の仇を取る母親のサスペンスなのかなぁ、と思っていたですが、基本的にはブラック・コメディなんですよね。登場人物は殆ど罪を抱える人たち。彼らの悪意や怒りがぶつかり合う中で、最後には希望の光が微かでも灯る、そんな映画でした。