抹茶飲んでからマラカス鳴らす

FC東京サポで鷹党のどうでしょう藩士による映画・アニメを中心とした感想ブログ

これが新しいエルキュール・ポワロ「オリエント急行殺人事件」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

 いよいよ2017年に見た映画の感想もこれを入れてあと3本となりました。遅いですが。本日取り扱うのは、アガサ・クリスティの名著オリエント急行殺人事件の映画化です。

オリエント急行殺人事件 (字幕版)

WATCHA4.0点

Filmarks3.9点

(以下重大なネタバレあり)

 1.当然の前提。

 世界的名著であり、アクロイド殺しと並び世界的ネタバレ厳禁作品です。

 当然、いくら海外ミステリは手を伸ばし切れていないとはいえ、ミステリ好きを公言してきた私も最初は小学生の時に読んだ記憶があります。その結末は当然のように衝撃を受けたことは言わずもがな。よって、今回の鑑賞もおおまかなネタバレは知っている状態でチェックしました。

 なお、前回の映画版および、日本・海外双方のドラマ版は未見です。よって私のエルキュール・ポワロのイメージは極めて原作よりであることをご承知ください。

2.映画化した意味。

 さて、これだけの名作、いわば古典とも呼べる作品を現代で映画化する意味がなくてはなりません。そういった点では、本作は2017年というタイミングで映画化する価値があったのではないでしょうか。

 まずなんといっても映像美です。豪華絢爛なオリエント急行の食堂車や、乗客たちの衣装・小道具。そして雪の中を走るオリエント急行。おそらくこの時代でなくては撮れなかったであろうアングルの映像や最新技術を駆使したその美しさは、それだけでお釣りがくる素敵な映像でした。

 もうひとつは、乗客たちとの掛け合いの中での人種をめぐる発言など、現代的情勢を表すものとして、社会的意義があったのではないでしょうか。

 冒頭、ポワロの推理力が驚異的であることを示すためにエルサレムでの事件解決が簡単に描かれます。この舞台がエルサレムであったことも現在の中東情勢や移民に対する排斥的感情を考えたうえでの選定に感じました。そもそもポワロ自身がベルギー人で、イギリスに亡命した人物なので移民や人種という問題にはコミットしやすいのだと思います。

3.新たなポワロ像

 そんな名探偵エルキュール・ポワロの描き方が、それを是とするか非とするかは置いておいて、おそらく今回の映画が切り開いた新境地といえるのではないでしょうか。

 クリスティの描いたポワロは「小さな灰色の脳細胞」を持つ、世界一を自認する尊大さも持っているような名探偵であり、靴底を減らすような捜査を嫌い、相棒のヘイスティングス大尉に君の灰色の脳細胞を働かせなさいと言っていた記憶が残ります。

 しかし、本映画のポワロは時々過去の恋人の写真を見て涙ぐんだり、推理を披露する際にも、2つの結論のどちらにするのか葛藤を見せたりかなり女々しく、感情的に見えます。その一方で、列車の上を歩いたり、アクションを見せたり、という一面も見せています(まあ画面を列車内だけに留めない工夫だと思うのですが)。設定としては杖を使った合気道の達人だったらしいのですが、それってバリツを得意としていたホームズのパクリでは…

 いくつもの語学を駆使して裏をかいたり、ヘラクレス呼びを訂正するなどいつもの部分もありましたが、こうした新たなポワロ像を提供したのは、今回の映画の特徴だと思います。

 個人的には、この変化は好きではありませんでした。

 やはりポワロには少し偉そうにしていてほしい、「小さい灰色の脳細胞」をもつ選ばれた名探偵であってほしい、という気持ちがあるので特に恋人の写真を前に女々しいポワロはまるでイメージとは違う人物でした。

4.ポワロだからこそ気になる矛盾

 エルキュール・ポワロという名探偵を扱うにあたり、私はどうしてもより高い整合性を求めてしまいます。その辺の探偵と比べれば、彼はあまりにも名探偵で完璧すぎるのです。例えばハードボイルド寄りではありますが、アンフェアシリーズの雪平夏美や探偵はBARにいるシリーズの探偵は謎解きや行動が多少粗くても許されると感じます。ですが、ポワロや古畑任三郎金田一耕助などには完璧に推理しきってほしいのです。

 そう考えたときに、今回のオリエント急行は少し疑問の残る点が残ります。

 まずは容疑者の選定ですね。そもそも記憶が正しければ、死亡推定時刻の誤認トリックからアリバイを互いに証明しあうのがオリエント急行のトリックの一つだったと記憶しています。それが今回ないので、乗客でなく乗務員が容疑から外されるプロセスなしに彼らを除外してしまっていることがまず疑問です。

 次に、乗客たちの素性に迫るシーン。原作でどうだったかを細部までは記憶していないので、原作からそうだったら申し訳ないのですが、例えば自称教授と自殺したメイドが恋仲であったことはどこにも証拠がなくいってしまえば下世話な妄想といえます。12人全員のそれを証拠を示すのは難しいにしても、であれば本人の口から語らせる等、ポワロが推論で語ったような形は避けてほしかった。

 次に、そもそもの旅程ですね。カレーに向かっていたということはイギリスに帰る予定だったはず。それなのにポワロは事件の影響で途中の小さな駅で乗車することを余儀なくされました。するとそこになぜか待っている伝令と車。そして次回作と思われる「ナイルに死す」の舞台のエジプトに向かうポワロ…ちょっと待って、カレーは??

 

 とまあ、そういった具合の文句はぶーたれてますが、基本的には知ってる話をどう見せてくれるのか、という観点がメインになったなかでは飽きることなく見せてくれました。次回作は「ナイルに死す」のようですが、ケネス・プラナーには、やはり「ABC殺人事件」「アクロイド殺し」のような大作の映像化に挑戦してほしいです。