※今回の記事は私自身の政治的思想が多少漏れております。お気を付けください。
どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB) です。
メリークリスマスです。縁遠いものではありますが。さて今回は、12月8日にTBSラジオセッション22で特集されていたことから見てみようかな、と思った映画。「否定と肯定」(原題:Denial)です。
放送および作品鑑賞後、邦題が作品の意図に沿わない気がするので「Denial」と表記したいと思います。12月に今年ベスト級が出てしまいました。
WATCHA5.0点
Filmarks4.9点
(以下ネタバレあり)
1.地味ながらも濃厚
本作が扱うのは実際にあったリップシュタット裁判であり、いわゆる実話モノです。ただ、記録として残すことの意義が極めて大きい内容だっただけでなく、しっかり映画としてもよかったと思います。
簡単に言ってしまえば、ホロコーストの有無を裁判で争うということですが、しっかりとホロコーストが実際にあったことを実証するだけでなく、原告のアーヴィングが実在していることを知りながら偽証したことを証明しなくてはならないことも言及されており、親切に作られています。
前述の原告であり、主人公リップシュタットと敵対するアーヴィングは俳優さんの演技含めて完璧です。わかりやすい悪役として立ちふさがるだけでなく、極めて悪質かつ無意識的な差別主義者として描かれています。メディアを利用してきたアーヴィングがメディアに差別的だと問われた際に無自覚に女性差別を弁明中に行っていたりと、皮肉だったと思います。
また、リップシュタットが歴史学者としてホロコーストの真実を伝えることを重視していましたが、ディベートがうまいだけのアーヴィング対策として弁護士チームがリップシュタットや被害者に一言もしゃべらせないというのは意外な戦術でした。しかし、その理由も勝つために必要だから、だけでなくこれ以上傷を深くさせないため、と人間味もあり彼らの善人ぶりが伝わってきました。
メディアを恐れてか、ジョギングコースを変えるように言われてたのに変えないし、変えなかった故に新聞見出しの変化を描写するとか少し、ん?と思うところはありましたが、まぁその程度でした。
2.この映画の今日的意義。そして邦題について。
上述の通り、この裁判の争点はホロコーストの有無ではなく、ホロコーストがあるのをわかっていて意図的に資料選別・歪曲等を行ったのかどうか、でした。この裁判の設定は事実としてこうだったという以上に、映画の主題とマッチしています。劇中でリップシュタットも述べていますが、トンデモ論を両論併記することはいけないということです。ホロコーストの有無を争うと設定すると、ホロコーストがなかったとする学説が、ホロコーストがあったという学説と同等程度の効力を持っていると思われてしまうのです。そこで邦題「否定と肯定」。最悪ですね、両論併記しちゃってます。ガーディアンズの時よりがっかりする今年No.1ガッカリ邦題と言っていいでしょう。
さて、原題「Denial」は動詞deny;否定するの名詞形です。ここで私の大学受験時の記憶を振り返ります。似ている意味の単語、refuseとdenyの使い分けについて英語講師はこう言っていました。
「取り調べの時に使うのがdenyだ。。すなわち、俺でない」
えー、ただのダジャレで覚えてもらおうという魂胆ではありますが、極めて正確です。refuseはこれから起こる未来の事について拒絶・拒否するという意味であり、denyは過去のことについて否定する、という意味になります。このdenyには、過去のことを否定する、ということの本質として明らかな過去の事実から目を背ける、ということを意味します。つまり、正しく今回のアーヴィングのような事例を指すわけです。
翻って、日本に目を転じます。日本では、南京事件や関東大震災時の朝鮮人虐殺、従軍慰安婦などの問題に関して、やはり全くのウソであるという学派が一部に熱狂的に支持されています。こうした歴史修正主義、歴史改ざん主義がまかり通っている現状、日本に住まうすべての人にこの映画を見て胸に手をあててほしい…そう感じました。
こうした今日的意義も含めて、本当に私の心にずっしりときました。BBC制作というのも納得の出来でした。