抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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原作改変の末に…「ユリゴコロ」感想

 どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。1ヶ月ブログ放っておいてすいません。おかげで、9月に見た映画の記事です。ダンケルクもまだ書いてないし、ハガレンとKUBOも見たし、多分この記事が載っているころには否定と肯定を見ているし、オリエント急行ガルパン探偵はBarにいる3も見たいのに…

 とはいえ、早速映画公開に合わせて慌てて原作を読み直したユリゴコロ。感想です。

結果的にガッチガチの原作厨のようで申し訳ありません…

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Filimarks3.4点

WATCHA3.5点

(ネタバレ有り)

 1.映像化不可能の原作トリック

 さて、本作の原作は大きく2つの要素があります。秘密のノートを読んでいる前半はこれを書いたのが誰なのか、という部分で引っ張り、中盤以降は、ノートに恐ろしき殺人記録を書いたと思われる母は、記憶の中におけるどの母なのか?という謎で引っ張り、そして最後に大きな驚きをもたらして終わります。

 まどろっこしいので具体的に言いますが、主人公亮介の母は殺人鬼であり、途中で叔母と入れ替わっていたということ。そして実母は死んだように見せられて死んでおらず、亮介のドッグカフェで働いていており、そして亮介に関する問題を全て片付けた後、夫婦がおそらくは最期の旅に出る、というのがオチでした。

 キーとなる謎は、母の入れ替えで映像化の際の難点はここになると思っていました。人物の入れ替えはミステリではよくあることです。映像化するに当たってイニシエーション・ラブ等、上手くいった例もありますが、どうしても気になってしまうところであります。

2.原作改変を整理してみよう

 上記の原作要素を踏まえて、原作要素を確認していきます。

 まず原作前半部を大きく引っ張るのはノートを書いたのが誰か分からないこと、そしてその横にあった遺髪から母親入れ替えの疑いを持つことです。この際、弟の洋平が極め理知的な相談相手として存在することで感情的な亮介との対比が生まれています。また、洋平が戸籍謄本等の確認を行っていくことで、突拍子もない亮介の想像が真実に近いことを示唆することも出来ています。

 ノートの作者はいきなり吉高由里子の音読が入るので父親でないのは確定。早速一つ引っ張る謎を消します。

 映画では、この洋平の存在をバッサリとカットして、亮介の想像の話し相手を従業員の那智君に振っています。ただ、常識的に考えて、人を殺したと思われる人物の手記が父親の家から出てきたことをただの従業員に話すとは極めて考えづらいような気がします。

 そして、最大の改変はそもそもの母親入れ替えを無くすことでした。母親の入れ替わりがないので、映像化困難、とかそんな話しはどこ吹く風で解決です。しかし、母親関連のエピソードをまるっと削ったおかげで、亮介の中の母親の存在がとても小さく、不在の在が際立つ形になってしまいました。母の作ったオムレツという形で残っていることは示せていましたが、逆にあからさますぎて失敗していた気がします。

 また、重要な改変要素として細谷さんの存在が挙げられます。原作では、亮介のドッグカフェ(どうでも良いですが、ドッグカフェとか奈良とかも設定入れ替わってましたね。)の当初からの従業員で、その正体がノートの作者であり実母という衝撃を与えてくれる存在でした。映画での細谷さんは、千絵の昔の同僚であり、失踪した千絵の伝言を届けに来たという所からスタートします。すなわち、細谷さんと千絵の出会いは偶然です。原作において細谷さんは、実父の洋介と情報を共有しており、それ故に千絵の失踪も案じていたために親身になっていただけでなく、表向きは千絵自身とも従業員同士で関わりがあったはずですが、映画ではたまたま出会っただけの薄い縁であり、観客からすればなんでそこまでしてくれんねん、と正体を自らバラしてるようなものだったと思います。

 全体を通して見ると、ミステリ要素を削りながらノートの中身は忠実に再現することで、サスペンスホラーに近い内容へと変貌を遂げたといっていいでしょう(それが良いとは言ってない。)

3.原作抜きに考えても…

 さて、原作を中心に考えて不自然な点があるとか、魅力を削いだとか、言って参りましたが、映画単体として考えても気になる点が。

 まずどうしても細谷さんが最強過ぎます。ノートの中での殺人は、事故に見せかけたものや不意を突いたもので、それによってユリゴコロを獲得していたに過ぎず決して快楽殺人者でもなければ、プロの殺し屋でもないはずです。ところが、女性を監禁している警戒されてるはずのヤクザの事務所で全員血祭りにあげる荒技。そもそもなんで居場所が分かったのかも不明。(この辺も原作だと半グレレベルだし、金を渡す所を襲撃してるのでまだ分かるのに…。)ただの昔の同僚がここまでするのが不自然です。

 次に亮介ですが、ただの我儘言いたい放題のお坊ちゃまにしか見えません。これは恐らく理詰めで説得する洋平の存在や店舗内で優しくしてくれた細谷さんの立ち位置の変化によるものだとは思いますが。そもそもヤクザ相手の危険な仕事分かっても、女性の細谷さん1人に任せっぱなしですし、最終的に千絵を攫った奴を殺したい、それもこれも自分に流れる殺し屋の血のせいだ!!などと面と向かって絶叫する始末。共感性ゼロと断じざるを得ません。

 そして、ユリゴコロというわかりにくい概念に対して与えられたオナモミという象徴。オナモミまみれの濡れ場というギャグなのかニッチなAVなのか意味不明なシーンはさておいても、刑事が訪ねてきたかつてにおいて、オナモミを提示されているにも関わらずヤクザの事務所にオナモミを置いていくっていうのは何なのでしょう。破滅願望ですか?直ぐに亮介が来ると分かっていても、それを置いていかない可能性はないでしょう…

 なんというか、イヤミスの傑作からミスを抜いて、中途半端なラブストーリーをねじ込んで、イヤの部分はイヤミスの本質的なイヤではないイヤを与えてくれる、そんな作品になったと思います。蛇にピアスでも脱いでいた吉高由里子の脱ぎっぷりは流石でしたが、この映画で脱ぐ価値があったとは正直思えませんでした…