抹茶飲んでからマラカス鳴らす

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「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」感想

どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB)です。

TOHOシネマズの会員だと安くなるシネマイレージウィークということもあり、本当はとても忙しいですが22年目の告白ー私が殺人犯ですーを見に行きました。

この作品はネタバレせずに見た方が絶対にいいのでご覧になる予定でまだ未見の方はご注意ください。

22年目の告白?私が殺人犯です?

 

Filmarks4.0点

WATCHA4.0点

(以下ネタバレ有り)

 1.前提

 えー、この映画を見る前の前提としてどうやら韓国での映画のリメイクだということは聞いていました。そちらは勿論未見です。見ようかなぁ、でもなぁ、ぐらいの気持ちをグッと見に行く方に傾けた事件が起ったのです。

 それは。。。ネタバレです。ええ。twitterでネタバレを予期せず食らってしまいしました。核心を突くネタバレを食らったので逆に見に行ってやろうか的な根性が湧いてきまして、見に行ってきた次第です。そのため多少ひねくれた感想かもしれません。ネタバレついでに言っておくと、劇場で隣になった小僧達がスマホを鳴らす、チェックすると暴れ放題で、咳払いで注意を促しても届かず…そんな想いもこもった感想です。

2.テレビ資本と侮るなかれ

 日テレが資本に入っているので、地上波放映用にたいしたものではないのではないか、という偏見も若干持って見に行きました。結論から言えば、これはほんっとにただの偏見でした。スイマセン。特に音響面でわざと不快音を出したり、作中でいわゆるスナッフフィルム(人を殺した瞬間を収めたビデオ)も出ており、ちゃんと劇場用に作っているという印象でした。

 お話としては、時効を迎えた連続殺人事件の犯人・曾根崎雅人が手記を顔出し・実名で出版し、フィーバーになるとともに、その事件の遺族や刑事、特に牧村の様子を追っていくものです。曾根崎はTVの生出演でキャスターの仙堂に追求されていき…という感じ。

 実際に2015年に酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの書いた手記、絶歌が出版されて物議を醸したのが思い出されますが、あのときのワイドショーの様子を思い返すと今回の劇中での曾根崎のマスコミや世間でのフィーバーぶりは理解できます。なんせビジュアルが藤原竜也で、警察から逃げ切った人物となれば、それは注目されます。

 冒頭、1995年の事件発生当時から現在までを実際のニュース映像等を用いる演出は割と好みでしたし、阪神淡路大震災は本編にも絡んでくるファクターとなりました。演出面でいえば、曾根崎が記者会見で自著を朗読している時の演出もとてもよかったです。

 さて、私がネタバレを食らったこの作品の重要な点は、この曾根崎の正体は殺人犯ではなく、失踪していた牧村の妹の婚約者であって、本を書いたのは捜査情報を知っていた牧村だったことです。途中殴り合いのようになり憎悪の関係にあると思われた両名は協力して真犯人をあぶり出すためにマスコミを利用した訳です。

 そして真犯人は曾根崎を追求していた仙堂であり、更に時効だと思われていた事件も仙堂が流した牧村の妹の殺害ビデオから刑事訴追が可能なことが分かるという2つの山場が準備されていました。ネタバレを食らった上で見ていても、この設定には全く違和感を感じる矛盾点もなくよく出来ていたと思います。恐らく知らなければ騙されていたでしょう。

 ついでに言えば、日テレ資本なのに仙堂の番組のセットがテレ朝系の報道ステーションチックだったり、TBS系の情熱大陸を思わせる密着クルーが登場したりと、思わず笑ってしまうところもありました。

 終盤、空港でのシーンで帝談社(曾根崎の本の版元)とは違う会社が仙堂の手記を出版しています。このあたり、現代社会への皮肉を感じました。

3.気になったところ。

 全体としてよく出来ていたと思いますが、それでも幾らか矛盾を感じざるを得ませんでした。

 一番大きな点としては、警察官である牧村への処遇と彼のスタンスです。

 ちょっと時系列が曖昧ですが、彼は警察に辞表を出していました。それは恐らく真犯人の要求に応えてテレビの生放送に出演するためと、妹が事件に合わせて失踪していたことを隠していたためです。ところが課長はこれを握りつぶすというか、時間稼ぎをする旨の発言をしていました。そのため、出演に対し課長に上層部から電話もかかってきています。その生放送で牧村は本を書いたのが自分であること、すなわち時効が成立した事件ではあるものの捜査情報を漏洩したことを自白します。推理小説を読んでいればよく出てくることですが、捜査情報は絶対の機密であり、漏洩なんて絶対に許されまん。ところが、その後彼は同僚と警察でビデオを見ながら時効になっていないことを突き止め、警察署から飛び出し曾根崎こと小野寺拓巳を覆面として使用していた車で追いかけています。捜査情報の機密を漏洩したのに、処分なしっていうのは流石に納得が出来ません。

 牧村は、本を代筆している時点で捜査情報を漏洩しているので警察官としての責務から放たれ、復讐者として生きることを決意しているはずです。実際にに遺族の美晴の刺傷事件を計画遂行のために(無論、美晴のことを思ってでもあると思うが)握りつぶし、真犯人である仙堂への小野寺の殺人未遂ももみ消しています。真犯人が首に絞められた跡、いわゆる索状痕があり、腹部をナイフで刺されているのにお咎めなしでそのまま小野寺はおそらく海外に高飛びします。

 ところが、真犯人である仙堂を司法の手に委ねることが可能であるとわかった後は、仙堂を殺す選択ではなく逮捕する選択をしました。牧村の代わりに犠牲になった警官が牧村に警察官の仕事は逮捕して司法に任せることだ、的なことを言っていたのが思い出されます。すなわち、彼はこの瞬間警察官になっているのです。

 小野寺を殺人犯にしないため、という理由も考えられます。小野寺は逮捕されていないので、少なくともカンペキに警察官になっているとも言えません。このあたり、殺害された先輩の台詞の回想が挟まらないので、牧村自身がどういったスタンスでいたのかよくわからないというのが正直な感想です。

 ラストシーンは賛否両論でしょう。仙堂が白衣を着た人たちに移送されていたことから心神耗弱が認められたと考えるのが妥当で、その上で彼はおそらく殺されてしまいます。これを悪が裁かれた爽快感ととるか、牧村達の選択を台無しにする凶行ととるかは見た人次第でしょう。ま、サイン会の会場で発砲事件を起こしてて、以前から警察に目をつけられてた男が銃刀法違反等で捕まらないまま、あんな簡単に潜入できてしまうこと自体はうーん、と思ってしまいますが。