抹茶飲んでからマラカス鳴らす

見た映画、読んだ本、見たアニメ。そんな話を中心に。。。

思いを歴史に馳せる「サラエヴォの銃声」

どうも、抹茶マラカス (@tea_rwB) です。「堕ちる」に続いては、コチラ、と言いたかったのにずいぶん間が空いてしまいました。気づけばGWです。いかがお過ごしでしょうか。名探偵コナンクレヨンしんちゃんの映画を見かけると、GWの到来を実感します。しかし、いやはやTwitterで宣言するとフラグになるの、どうにかしたいですね。

サラエヴォの銃声」

洋画の中でもアメリカ以外の映画を見るのは少林サッカー以来でしょうか。ヨーロッパ圏はほぼ初めてですね。

f:id:tea_rwB:20170502144236j:plain

 

WATCHA3.9点

Filmarks4.0点

(以下ネタバレ)

 1.ホテル舞台の群像劇

 今回の映画の舞台はボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォの老舗ホテルです。このホテルを舞台に多くの人々の群像劇が描かれていきます。

 屋上では、100年前のサライエヴォ事件についてジャーナリストが3人(象徴学者、ボシュニャク人の歴史学者、ガヴリロ・プリンツィプ)にインタビューをしている。

 VIPルームには、大統領に招かれたゲストがスピーチの練習をしており、それを警護するはずが、手違いで監視してしまう警備会社。社員の監視担当は夫婦げんかのまっただ中。

 受付のラミヤ嬢の母はリネン室担当だが、2ヶ月給与未払いのストライキの先頭に立つことになる。

 支配人はEU首脳等の来賓の日にストライキを決行することを知り、地下クラブ・裏カジノのボスにストライキ首謀者をシメて、ストライキを中止に追い込もうとする。

 

 これだけの登場人物がいるので頭の中で整理しながら見なくてはいけません。

屋上でのシーン、特に3人目ガヴリロ・プリンツィプに対してのインタビューでは、1914年の第一次世界大戦のきっかけとなった事件であるサラエヴォ事件、ユーゴスラヴィア独立にまつわるボスニア紛争サラエヴォ包囲やスレブレニツァ虐殺などにまつわる専門用語やスラヴ民族や大セルビア主義といった当時のバルカン半島の置かれていた情勢を理解してないと追いつくのが大変です。実際、ムスリムイスラム教徒と同義だと勘違いしたり、'We'や'You'の範囲について混乱をしてしまった部分もありました。

 

2.群像劇の行く末

 それぞれの事象が錯綜した結果、一発の銃声がなることになる。予告では一発の銃声きっかけで群像劇が始まりそうな感じだったが、銃声はあくまでとどめだ。斃れたのは、ガヴリロ・プリンツィプ。サラエヴォ事件で偶然にも実行犯となった(前任2人の失敗によって実行者となった)彼と同様に、きわめて多数の偶然の積み重なりで今度は撃たれる側になったガヴリロ・プリンツィプ。そこに何かの因縁を感じざるを得ません。勧善懲悪的な面で言えば、明確な悪者であったホテルの支配人は式典前の発砲騒ぎで倒産確実。給与未払いも含め、かなりの負債を背負うでしょう。そして、地下クラブの連中もラミヤの母が救出された際にどうやら検挙されたようでした。

 

3.映画を見ることで得られる意義

 物語で興味深い発言があります。

 「ボスニアには全てに2つの物語がある」

 オーストリア皇太子は統治者だったのか、侵略者だったのか。ガヴリロ。プリンツィプは英雄なのか、テロリストなのか。

 これらは、押し並べて全ての出来事を二項対立で考えろ、ということではなく、多民族による多層国家であるボスニア(今でも、内部にセルビア共和国を抱えている)だからこそ求められる多元的見地からでた言葉なのだろう。その際に、たまたま2者が対立し、紛争になったために物語は2つだったのであり、3つにも、4つにもなりうるのだ。

 母を救うために支配人室を訪れた際に、何故かラミヤに迫った支配人など、不思議な点も多くあったのは事実ですが、上記の多元的見方を移民の少ない、島国である日本で私たちが見ることにこそ、意味が感じられると思いました。この狭い国ですら、日本人って誰を指す言葉なのか。日本とはどこからどこまでで、それは誰が、何故決めたのか。頭を働かせてもたまにはいいのかもしれません。少なくともその作業を経ることで、ボスニアを含めた旧ユーゴ系の紛争への理解も進むのではないでしょうか。